死にたいと、ずっと思っていた。
けれど、死ねなかった。
直観的に、「自分がいなくなったら悲しむ」とわかる人がいた。
それが幸せなことでもあり、呪いでもあった。
私は、どう生きたらいいかわからなかった。
真っ暗な河川敷を、ただ彷徨っていた夜のこと。
どこにも行き場がなくて、空気も、道も、世界さえも閉ざされているように思えた。
そんなとき、突然、ひとつの言葉が浮かんだ。
「人は、考える葦である」
パスカルの言葉。
本の中で目にしたはずのそれが、ふいに湧いて出た。
あぁ、人間って、葦のように弱いんだ。
だからこそ、過信しすぎてはいけない。
でも、同時に——
どんなに弱くても、思考できるということは、強さでもあるのだ。
そのことが、言葉にならないまま、私の中をあたためていった。
暗夜に、灯がともるように。
次第に、目の前の風景が明るくなっていくのを感じた。
あの瞬間、私は救われたのだと思う。
誰かから与えられた光だった。
あるいは、自分の中にまだ残っていた微かな灯が、言葉と結びついたのかもしれない。
でも、その光はいつしか失われた。
もう一度だけ、あの光の場所に戻りたくても、戻れなかった。
与えてもらったあの瞬間の奇跡は、もう訪れない。
だからこそ、私はこう思った。
与えてもらった光は失われたけれど。
ならば、今度は私がつくりましょう。
私のこの手で。私の一番好きな場所に。
光に満ちた、あの世界を。
もしあのとき、あの言葉に出会えなかったら——
私は今も彷徨っていたと思う。
自分を呪い、生を呪い、他者さえも呪っていたかもしれない。
だけど私は今、「あの夜」を思い出すたびに、
誰かの絶望に、ほんのわずかでも光を灯したいと思う。
あたたかさを、希望を、差し出すことができる世界を。
私の手で、もう一度、つくってみたいと思う。
それは、与えられるものじゃない。
借りるものでもない。
自分の中に育てていく、小さな火種のようなもの。
「光を失った者が、光をつくる人になる」——
私は、そんな生き方を選びたい。