散らかった部屋にいると、なんだか頭の中までごちゃつく。
ものが多すぎると、ただ「見えている」だけなのに、呼吸が浅くなる。
文字情報や視線の多いカフェにいると、何をしていても集中できなくなる——
そんなふうに感じたことが、私は何度もある。
HSPの私は、「見えるもの」=「刺激」だ。
ただそこにあるだけのものが、心に語りかけてくる。
それは決して悪いことではないけれど、
無意識のうちに、「心の処理力」を使いすぎてしまう。
だから私は、できるだけ視界をすっきりと保つようにしている。
特にデスクの上は、なるべく何も置かない。
音楽を聴くときも、読書をするときも、
視界にごちゃごちゃがあるだけで、感覚が鈍ってしまう気がするのだ。
ある日、ふと思い立って、部屋から「気になっていたもの」を減らした。
ずっと置いてあったけれど、いまの気分には合っていないものたち。
好きだったけれど、今はもう目に入るだけで少し疲れてしまうものたち。
ものが減った部屋で、私はただゆっくりと音楽を聴いた。
推しの曲。
何度も聴いたはずなのに、その日は少しだけちがって聴こえた。
「自分のためだけの時間」になっていた。
最初は、少し寂しかった。
ものが減ると、どこか空虚に感じる瞬間があった。
でもすぐに気づいた。
「いま、視界にあるものは、自分の“気分”に合ったものだけ。」
それだけで、心がとても晴れていた。
HSPであることは、
日々を“感じすぎる”ことで、傷つくこともあるけれど——
だからこそ、「整った空間」に自分を置いてあげるだけで、回復力が高まる。
見えるものを減らすことは、
ただの片づけや節約ではなく、
「心が休める場所を、自分のために整える」ことなんだと思う。
好きなものだけ、気分の合うものだけ、
そっと自分の半径1メートルに並べてみる。
それだけで、世界は少しやわらかくなる。
好きなものだけ、気分の合うものだけ、
そっと自分の半径1メートルに並べてみる。
それだけで、世界は少しやわらかくなる。
『本当に気に入っているものは、意外と変わらない。
昔の自分に刺さった感性は、今の“好き”にもちゃんと響いている。
だから私は、それもまるごと含めて楽しんでいる。』
少ないもので満たされる空間は、
「今」の自分だけでなく、「ずっとここにあった自分」の輪郭も思い出させてくれる。