誰かの期待に応えるのがつらいとき、自分を守るための断り方

「できるでしょ」と言われた時、あなたはどう感じる?

職場で「あなたならできるでしょ」と言われたことがある。
最初は少しうれしかった。信頼されてるのかもしれないって。
でも、同時に心の奥では不安もざわついていた。

——これ、もし失敗したら?
——期待に応えられなかったら、どう思われるんだろう?

その仕事は、頑張ればなんとかできるレベル。
だけど、“がんばらなきゃできない”ラインだった。

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“嬉しさ”と“プレッシャー”が同時にやってくる

本音を言えば、断りたかった。
でも、頼られるのも嬉しい。
自分にできることなら、協力したい。

その2つの感情の間で揺れて、結局引き受けることにした。

引き受けたあとの後悔と、気づき

結果として仕事はうまくこなせた。
でも、夜にはもうヘトヘトで、なにもできない状態だった。

「引き受けなきゃよかった……」

それが、心の中で浮かんだ正直な気持ち。

そして、自分には「断れない性質」があることにも気づいていた。

断れなかった自分は、優しさ?それとも弱さ?

あのときの自分は、たしかに優しかった。
でも同時に、弱くもあった。

「誠実」であろうとしたけれど、
自分を蔑ろにしてしまったその選択は、
結果的には“相手にも不誠実”だったのではないか——
そんな疑問があとから湧いてきた。

次に同じことが起きたらどうする?

今なら、少し違う言い方ができるかもしれない。

「頼ってくれるのは嬉しいですが、私がやる場合、時間がかかります。期日調整も相談させてください。」

無理に断る必要はない。
でも、自分の“状態”や“願い”をちゃんと伝えることで、無理のない関係をつくることができる。

自分の願いを含めた“返し方”という選択肢

「できるからやる」ではなく、「願うからやる」。
その方が、ずっと自分に正直で、相手にも丁寧だと思う。

期待に応えることと、自分を守ることは、必ずしも対立するものじゃない。
「自分の気持ちを含めたやり方で応える」ことも、立派な誠実さだ。

誰かの期待に応えることと、自分を守ることのちょうどあいだで

“折り合い”というのは、戦わないことでも、我慢することでもない。
ただ静かに、自分の気持ちも、相手の気持ちも、大切にする方法を模索すること。

それは、強く主張することよりもずっと難しくて、
けれどきっと、日々をしなやかに生きるために必要な技術なのだと思う。

まとめ

  • 誰かの期待に応えるのは嬉しい、でもしんどいこともある
  • 無理をして応えると、あとで自分が苦しくなる
  • 自分を含めたかたちでの“応答”ができると、関係はもっと誠実になる
  • 「断る」ではなく、「伝える」ことで、折り合いは可能になる

「あなたの願いも、大切にしていい。」

そう言える自分でいたい。
そして、それを誰かに言ってあげられる人でもありたい。

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