「あぁ、なんて日常は、こんなにも平凡なのだろう」
私は思わず、大通りで天を仰いで唾す。
この世界というのは、やる必要のないやるべきことが多すぎる。
テクノロジーが発展して、本来であれば生きる上では3~4時間も労働すれば充分生きて生きるだろうに。
普段からよく思う。
こんなことになるなら、人類には電気という存在は早すぎたのではないかと、エジソンに恨み言を漏らしてしまう。
ただ、そうしたとしもエジソンじゃない誰かが、発明するに違いない。
だって、その時代に、場所に、世界の要求に応えたのは、たまたまエジソンだっただけなのだから。
私は、凡人だ。ただただ、彼ら彼女らがその世界の要求に応えている姿を眺める一般人だ。
なんせ私は世界から要求されても応えられる気がしないのだ。
でも一般人には、それができない。
だから、SNSで「あぁ、皆さん今日も、SNSで一番輝いてますよ!」と言い聞かせている。
この世界は自己存在、自己主張でいかに自分が幸せかの発表会をしている。
そんな世界すら、私には眩しすぎる世界だ。このSNSという太陽を、消し去りたいくらいだ。
私は耐えられず、フードを深くかぶり、逃げるように裏路地に入った。
ここは私のホームだ。誰もおらず、騒音から逃れる場所だ。
しかし、今日は違った。違ったのだ。
前から男性が歩いてきた。珍しい。
この裏路地で人とすれ違うのは、そうそうない。あっても数えるほどだ。
彼を観察すると、何かがおかしい。
……。これは、怪我をしている?
彼の足取りは、足をつかまれて引っ張られているような、それこそ地面から死という手が伸びて彼の足をつかんでいるように見えた。
彼は思わずへったりと壁にもたれかかった。
しかし、その姿は決して弱々しくなく、どこか闘争心を隠せないと言わんばかりの情熱を感じざるを得なかった。
闘争心、とういうよりも生きる。という意志力が働いている感覚なのかもしれない。
ただ、立ち尽くして、そのまなざしを見つめるしかなかった。
彼のまなざしを見つめる事しか、できなかったのである。
へったりとしているはずなのに、今にも力強く動きそうな。
へなへなっと弱り切った姿ではなく、どこか力強さを感じたのだ。